法律事務所の弁護士とインハウス・カウンセル

日本でも昨今、企業内弁護士が増えつつある。日本企業の法務部に就職する新人弁護士や、法律事務所で数年実務を積んだ後に留学後のタイミングで外資系企業や総合商社のインハウスに転じる弁護士も珍しくない。

今日、ご紹介したいのは、Santa Clara University School of Law でインターネット法、マーケティング法、知的財産権法を研究する Eric Goldman 教授の Advantages and Disadvantages of Taking an In-House Counsel Job と題するBlog記事。同教授はロー・スクール卒業後、シリコンバレーの法律事務所に勤務、そしてインターネット関連のスタート・アップで企業内の法務責任者を務めた。外資系企業、特に米国企業のインハウス・カウンセルに興味のある方にとって、同教授の指摘は参考になるかもしれない。以下、その要約。

インハウスのメリット

  • ビジネス上の重要な意思決定の過程を共有できる(かもしれない)
  • チームの一員として早期に問題を発見し、その解決まで関与できる
  • 企業としての存立目的に沿った活動をしやすい
  • 企業の経済的な利益を共有しやすい(特に株式を付与されている場合)
  • 請求時間を書き留める必要がない(インハウス最大のメリットという人も?)
  • 比較的、業務の優先順位を付けやすい(法律事務所に比べれば…)
  • ワーク・ライフ・バランス

インハウスのデメリット

  • 法律事務所では見当たらない、伝統的概念での「上司」がいる
  • 上司はときに変わる、そして次の上司が…ということもある
  • 回答を知っている必要がある(十分な調査の余裕が与えられないことも…)
  • 法的な正確さ・緻密さは、必ずしも賞賛されない
  • コスト・センターである
  • ときにToo Generalist であり Too Specialist となってしまう
  • 法務に関するインフラがあまり整っていない
  • 企業の要請との緊張関係(バカげた規制に対してどう対応すべきか…)

いかがでしょう?もっとも法律事務所であれ、企業であれ、その他の組織であれ、1つ1つ個性があって千差万別なので、十把一絡げは良くないと思いますが。

専門スキルとその他のスキル

クーリエ・ジャポン 11月号に、ヤフーの安宅さんによる「これからのビッグデータ時代に必要とされる人材の条件とは」との記事があった。

記事後半で「専門スキルに依存しない」と題するお話があって、印象に残ったので少しご紹介。

私は、スキルは「基礎スキル」「専門スキル」「リーダーシップ」の3つに分類することができると考えています。一般にスキルと呼ばれるものは、経験によって身に付く専門スキルのことだと考えられがちですが、どんな組織においても役立つのは基礎スキルとリーダーシップのほうです。

(中略)

専門スキルは年月をかけて身に付けていくもので、これがなければ必要とはされません。しかし一方で、専門スキルに依存しすぎるのも問題です。手に入れるのに時間がかかるのに、風化しやすいのが専門スキルだからです。たとえば、プログラマーの場合だと、せっかく複数のプログラミング言語を覚えたとしても、新しい言語が主流になれば、それまでの知識は価値を失います。

その点、基礎スキルやリーダーシップは色あせません。そして、どんな組織に必要とされるのです。

言われてみると当たり前かもしれないけど、弁護士のような専門職では「専門スキル」への傾倒が激しく、ついつい、こうしたことは忘れがち。

新人弁護士が中規模以上の企業法務事務所に就職する場合、「専門スキル」を身につけるためには最も恵まれた場所だろう。ただ、法律事務所は、弁護士事業のために最適化された、大変にユニークな組織であり、また、事務所規模が大きくなると、業務内容も高度に専門化された特異な世界。アソシエイトという立場では、安宅さんの仰る「基礎スキル」すら、やや狭い範囲で意識するに過ぎないかもしれない。まして、「リーダーシップ」といった意識は限定的で、特に「弁護士たるもの一人一人が独立した職人であり、独立した事業者である」といった専門職としての心意気が強すぎたりすると…。

そうはいっても、誰もがいつまでも事務所のアソシエイトではいられない。そのうちに、パートナーとして事務所の運営にあたるかもしれないし、外に出て、組織の中で働くようになるかもしれないし、独立するかもしれない。あるいは、法律事務所で専門スキルに軸足をおいて残ることが許されたとしても、上のプログラマーの例のように、最先端とされていた分野が10年ほどであっという間に陳腐化することも珍しくない。この10年の歴史を紐解いても、資産流動化から買収防衛策から職務発明から、どれほど華々しく取り上げられたとしても、それが永続することは決してない訳で、それを考えると、アソシエイトの若い時期から、こういった「専門スキル」以外の視点を忘れないほうがよさそう(残念ながら、法律事務所の中では、あまり触れる機会がなさそうだけれども…)。

 

自分自身のリストラクチャリング

週末、心にグサリと突き刺さった一言。広瀬隆雄氏のMarket Hackより。

昔のギョーカイの人々のゴシップを聞くにつけ感じることは、自分を何度もre-inventingすることの重要さです。なぜなら産業や企業の浮沈より、自分の生涯の方が期間が長いからです。

これは大変なことだと思う。ある地位、ある職場、ある業界で作り上げ、あるいは身体に叩き込まれ、何かを成し遂げるのに必須であった能力・素養・価値観が、次の舞台では往々にして足を引っ張る要因に転化することも。特に自分や身を置いた世界が一度うまくいった場合は、数年のうちでも成功体験が刻み込まれる。その成功が強烈なほどこの傾向は強く、自身固有の価値観に組み込まれてしまうことすらも。それをリストラクチャリングして方向転換するのはとても大変なこと。

最近、読んだ南場智子氏の不格好経営で、

いざ自分が事業リーダーになった途端、新しく身につけなければならないこと、そして「unlearning(学習消去)」しなければならないことがとても多く、本当に苦労した。

と述べていたが、この unlearning (学習消去)、何といっても我が身を削るものだけに…。南場氏の場合は経営コンサルタントから起業家への転身、確かに自分でやるのと助言するのは大きく違うかもしれない。

ただ、世間からは全く同種のカテゴリー・業界、更にその中の文化的に近似と認識される場所同士ですら、それなりに学習消去の必要性は当てはまるはず。まして、立場を変え、あるいは身を置く世界を変え、となればなおさら。

私などまだ30代である上、伝統的な世界にいる人からみれば下手するとジョブ・ホッパーとの雰囲気すらあるけど、いつも「今、必要なものは何だろう、何を新しく身に付けなければならないだろう」と自問自答して四苦八苦。5年後、10年後、15年後に自分自身のリストラクチャリングができるだろうか。

最近、事務所の同期で、少し前に独立して、アソシエイト弁護士を複数雇いつつ、うまく経営してる弁護士から話を聞いた。彼は、事務所在籍時の実務と180度違う方向性に切り替え、きちんと成功していて大変に驚く。日本の大手法律事務所は金融危機前までの10年で急成長。事務所の規模は4倍、5倍に拡大し、さほど陽の当たらなかった世界からビジネス雑誌などでも取り扱われる存在になった。その爆発的な成長期に培われた価値観から抜け出せないケースが多いだけに、その中で、果敢に飛び出し、 unlearning して成功する例をみると勇気づけられる。

 

追伸 同じ場所で同じポジションにいたとしても、その場所の発展段階が変わり、外部環境が変わっていく中では、常に自分自身の一部リストラクチャリングを怠ってはならないのかもしれない、と感じる今日この頃。

IT法務:シリコンバレーのプロダクト・カウンセル

「IT法務」という言葉に接した。これは結構多義的な言葉のようで、例えば、デジタルやオンラインのサービスと著作権の問題だったり、プロバイダ責任制限法関連の領域だったり、あるいは、システム開発契約の交渉や契約後の紛争を指していることが多い。そのため、IT法務に詳しい弁護士というと、典型的には、Winny事件で金子氏の最高裁無罪判決を勝ち取った壇弁護士や、プロバイダ責任制限法の事件を多数手がけておられる神田弁護士のお名前が挙ったりする。

今回ご紹介したいのは、これらとは少し違った趣きの、シリコンバレーやベイ・エリアでプロダクト・カウンセルというカテゴリに入る弁護士。これは日本では馴染みがない職種だが、大雑把に言うと、知的財産権、業法規制、消費者法、プライバシー分野等の知見があって、テクノロジー企業内でエンジニアリング部門やプロダクトマネジメント部門と協同・連携し、サービス展開に向けてリスク分析と法的助言に専念するタイプの企業内弁護士。法律事務所時代は訴訟弁護士だったケースが多く、ロー・スクール入学前は理系の研究者・技術者という例も珍しくない。

米国のテクノロジー企業にとって、サービスに起因するリーガル・リスクはときに無視し得ないレベルまで高まることがあるので、リスクをコントロールするため重要な役割を担う。Google Book Search や Youtubeの訴訟が典型的な例で、Googleを描いた本、グーグル ネット覇者の真実 追われる立場から追う立場へなどでも、こうした文脈で著名なプロダクト・カウンセルたちが登場する。

西海岸のインターネット企業で従業員の高学歴化が進んでいることと平仄をあわせた傾向なのか、プロダクト・カウンセルも実に経歴の素晴らしい人が多い。私の知人には、著名なインターネット関連の非営利団体に少し籍を置いた後、ハーバード・ロー・スクールに進学、卒業後に連邦控訴裁判所で判事の調査官を1年間務め、全米でも訴訟分野で大変に高名な法律事務所でアソシエイトとして勤務し、そのシニア・アソシエイトからインハウス・ローヤーに転じて、シリコンバレー、ベイ・エリアのインターネット企業で勤務中といった、およそこの分野ではこれ以上の経歴は採り得ないだろうというような人もいる。

翻って日本ではどうかというと、米国のようなプロダクト・カウンセルは寡聞にして聞かない。一つには、法的リスクの高低があるのかもしれない。確かに、JR東日本のSuicaデータ社外提供など世間を騒がせる例もあるが、Viacom v. Youtube のような10億ドルの訴訟というような巨額のリスクではないので、企業としては、米国式のやり方を真似る必要はないのかもしれない。

法学生向け お薦め本リスト

少し前に法学部生、法科大学院生、司法修習生向けに、この夏のお薦め本を連続でツイートしたので、それを簡単にまとめました。

1. 山本祐司氏『最高裁物語』

著者は、毎日新聞で長く司法記者をされ、日本の司法と最高裁判所を観察し続けてきた山本氏。戦後の最高裁判所の辿った激動の歴史を描いた力作。判例や憲法の基本書の学習で触れられる事の少ない、最高裁判所そのものに焦点をあてた希有な書籍で、2010年代に入った今となっては若干古いかもしれませんが、それでも、司法という世界に多少の興味のある方にとって一読の価値あり。

2. 濱口桂一郎氏『日本の雇用と労働法』

ブログでも精力的に情報発信をされている濱口氏。行政官のご出身だからか、一般の労働法の基本書がそれほど深入りしない、歴史的経緯に焦点をあてて、日本の労働契約の特色を説明。実務家は、日本の労働法を外国人に説明する際、解雇に制約がある一方、社内での人事権行使には広範な裁量があると言うことが多いのではないか。その辺りを、日本の労働契約は「ジョブ型」ではなく「メンバーシップ型」であるとして、深く理路整然と説明。労働法という個人の意見の相違のとても激しい分野だけに、もちろん、濱口氏の提案する方向性に賛成できる人ばかりではないだろうが、それでも一読の価値あり。

3. 野口祐子弁護士『デジタル時代の著作権』

著作権に興味のある学生さん、インターネットに興味のある法学生さん、いずれも必読。類書はなかなか見当たらず、それも、著者のご経歴、シリコンバレーでこの分野の議論が大きく進展した時期にレッシグを指導教授としてスタンフォードに4年もいらっしゃったという点を考えれば納得。

一方、素晴らしい本であるものの、実務家向けでもあって、コンパクトな割には内容はかなり高度。また、これだけの本を短期間で書かれたという話もあり、実務家からすると、真摯にこの分野を探求する著者の姿勢や力量を目の当たりにして、彼我の差にショックを受ける面もありそう…

4. 桝田淳二弁護士『国際弁護士 』

よく世間で「国際弁護士」という言葉が使われるたびに、弁護士の間では必ず「実際は、そんな職業はない」という反応があり、私も同感。日本の大手事務所は、主として、日本法を基礎にして外資系企業を日本国内で代理・助言したり、日本国内の取引ではあるが外資系企業がからむために英文契約となったものに従事(昨今は、それに加えて日本企業のアジア進出のサポートも)。それは、必ずしも「国際」という語感ほどの広さをもった活動ではないような。ただ、この本を読むと、日本企業がメインの依頼者にせよ、桝田弁護士の米国での活動のダイナミックさは、まさに「国際弁護士」といってよいレベル。

5. 中嶋博行弁護士『第一級殺人弁護』

現役弁護士が書いた推理小説として、妙にリアルな『第一級殺人弁護』あたりも、司法修習生法科大学院生に人気を博しそう。10数年前の自分の司法試験明けの夏休み、確か、同じ著者の『違法弁護』を読んでとても面白く感じた記憶あり。

この本は、確か2000年代前半。『違法弁護』を初めとする三部作はさらにその前、90年代。その後、刑事司法は裁判員制度の導入という大変革があり、さらに事実は小説より奇なりを地でいく事件が多発。とはいえ、この本の面白さは変わらないと思うので、今後、中島弁護士が2010年代のリアルな推理小説を執筆することを切に願いつつ、ここにご紹介。

6. 小林正啓弁護士『こんな日弁連に誰がした?』

最後は、今までとだいぶ毛色が変わって、弁護士の総本山、日弁連を取り上げた希有な書籍。残念ながら、この本を紹介したツイートのみ何故かRTもFavも全くつかず…そして、この本を紹介するちきりんさんのBlogなどをみても、法科大学院生のモチベーションをむしろ下げかねないが、多少はこういう側面もあるので、自分が関心をもつ世界について、きちんと現実を知ることは大切。。。さらに、東京ならば弁護士していて、日弁連弁護士会と接点を持たなくても、特に支障は生じないので、この本を読んで悩んでしまったとしても、さほど考え込まないことも肝要。

専門職としての落ち着き

最近、週刊モーニングに連載されている「コウノトリ」という漫画を毎週心待ちにしているのだけど、今週、印象的なフレーズがあった。

主人公は産科医、場面は彼が若き研修医だった頃の回想シーン。深夜、他に正規の産科医がいない中、突発的に被膜児のお産が起きてしまって主人公がオロオロ、そこで助産師さんが割って入って、ベテランならではの応急処置で危機を回避しつつ、主人公に向かって言う。

「なんて顔してんの、さっきから。患者さんの前でもそんな顔してたわよ」

「研修医だからって言うのは、あなただけの言い訳で、患者さんにしたらあなたは産科医なんだよ」

「不安なときこそ、笑顔で患者さんと接しなさい」

こういった、内心の焦りを決して外に見せてならない、プロフェッショナルとして精神的に安定した状態で、落ち着いて対応しなければならない、というのは、医師に限らず、弁護士、その他の専門職全般に共通して言えることだろうと思う。もちろん、人である以上、プレッシャーや焦りや不安感、動揺は、状況によって当然に生じるけれど、いかにそういった精神状態をうまく処理するかということも専門職に必須の能力かもしれない。

かなり以前、シニアーパートナー弁護士が、自らの元に配属された民事修習中の司法修習生と一緒に、紛争案件を検討したときの台詞を思い出す。そのシニアパートナーは、実家が成功した実業家であるからか、一般の弁護士とは事業の勘所、商流、お金の流れに対するセンスが全く違っていて、交渉ものでも、依頼者経営陣から(ときには交渉の相手方上層部からさえ)信頼を得るのがとても上手だった。

彼は、司法修習生に対し、事案の理解を深めるような質問や必要な情報を引っ張りだす質問を立て続けに上手に繰り出し、そのうちに、3人全員、この件のあるべき道筋がAかBというものか、いずれかであることがみえてきたのだけれど、同時に、修習生のみならず、私も次第に議論についていけなくなった。そんな瞬間に、彼は修習生に対して、

「で、最終的に依頼者にどっちすすめたらいい?」 

と聞いた。修習生は、もう全く分からないという表情をありありと浮かべ、私も修習生の手前、一見堂々とした素振りでいたものの、こっちに振られたらどうしようか、何と答えようか、理由付けはどうしようか、そもそも正解がどちらなのか、内心、とても困ってしまった。そんな中、シニアパートナーは、破顔しながら、

「答えはね、どっちでもいいんだよ。答えなんてないんだよね、いろいろな考え方あるからさあ。でも、そうやって自信なさそうに喋っちゃダメ。依頼者、不安になるから。どっちの方向でもいいから、安心させるようにきちんと説明して一つの解決を提示しないと。」 

と諭すようにいい、まあ隣にいた私は事なきを得たのだけれど、今でも、折に触れてこのときのことを思い出す。

さすがに、あのときからそれなりの年月が経ち、ここ数年は事業や組織そのものに影響を及ぼしかねない修羅場を前面にでて解決する場面なども多少は経験してきたため、少しは成熟し、周囲に安定していると思われる事も時折でてきた気もする。それでもいまだに反省の日々。

こういった仕事は、サッカーのポジションに例えればセンターバック、以前、サッカー日本代表の吉田麻也選手が仰った話に共感するところもある。

24歳にしてこういう境地に達している吉田選手はさすが第一級のプロフェッショナルという他ないが、若手から中堅の専門職にとって、とても参考になるメンタリティだと思う。

グーグル型コンプライアンス?

元のNBLの座談会記事をみていないので、本当は何とも言えないのだけど、山口利昭弁護士のblog記事「グーグル型コンプライアンス経営は日本企業に根付くのか?」をみて、正確にはその標題の「グーグル型コンプライアンス経営」をみて、ふと感じたことが一つ。

確かに、グーグルは、最近でもYoutubeに関するViacomからの巨額の損害賠償請求訴訟でも勝利を収め、果敢にリスクをとるその姿勢がとても印象的。そして、残念ながら、その部分では日本企業はどうしても一歩、出遅れているという雰囲気が否めない。

ただ、米国で現在に至るまで綿々と続くテクノロジー企業と伝統的業界の巨大な紛争の歴史を紐解けば、そこには一つの嚆矢としてSony Corp. of America v. Universal City Studios, Inc.(アメリカ法判例百選117事件)いう輝かしい事件があって、その新進テクノロジー企業が実は日本企業だったということを私たちは忘れない方がよさそう。

この通称ベータマックス事件、当初はソニー敗訴の結論に傾きつつあった連邦最高裁、 John Paul Stevens 判事の反対意見によって3:6 が5:4に移行したといわれる。控訴審の9th Circuitではソニーは敗訴しており、薄氷の勝利といってもよいギリギリの事件。

なお、本題から全くそれるが、判事は太平洋戦争中、暗号解読チームの一員として米軍の作戦に従事し、日本海軍の山本五十六司令長官の撃墜に貢献して、ブロンズスター勲章を受賞している。その経験は、判事の死刑に対する見方に影響を与えたという。