自分自身のリストラクチャリング

週末、心にグサリと突き刺さった一言。広瀬隆雄氏のMarket Hackより。

昔のギョーカイの人々のゴシップを聞くにつけ感じることは、自分を何度もre-inventingすることの重要さです。なぜなら産業や企業の浮沈より、自分の生涯の方が期間が長いからです。

これは大変なことだと思う。ある地位、ある職場、ある業界で作り上げ、あるいは身体に叩き込まれ、何かを成し遂げるのに必須であった能力・素養・価値観が、次の舞台では往々にして足を引っ張る要因に転化することも。特に自分や身を置いた世界が一度うまくいった場合は、数年のうちでも成功体験が刻み込まれる。その成功が強烈なほどこの傾向は強く、自身固有の価値観に組み込まれてしまうことすらも。それをリストラクチャリングして方向転換するのはとても大変なこと。

最近、読んだ南場智子氏の不格好経営で、

いざ自分が事業リーダーになった途端、新しく身につけなければならないこと、そして「unlearning(学習消去)」しなければならないことがとても多く、本当に苦労した。

と述べていたが、この unlearning (学習消去)、何といっても我が身を削るものだけに…。南場氏の場合は経営コンサルタントから起業家への転身、確かに自分でやるのと助言するのは大きく違うかもしれない。

ただ、世間からは全く同種のカテゴリー・業界、更にその中の文化的に近似と認識される場所同士ですら、それなりに学習消去の必要性は当てはまるはず。まして、立場を変え、あるいは身を置く世界を変え、となればなおさら。

私などまだ30代である上、伝統的な世界にいる人からみれば下手するとジョブ・ホッパーとの雰囲気すらあるけど、いつも「今、必要なものは何だろう、何を新しく身に付けなければならないだろう」と自問自答して四苦八苦。5年後、10年後、15年後に自分自身のリストラクチャリングができるだろうか。

最近、事務所の同期で、少し前に独立して、アソシエイト弁護士を複数雇いつつ、うまく経営してる弁護士から話を聞いた。彼は、事務所在籍時の実務と180度違う方向性に切り替え、きちんと成功していて大変に驚く。日本の大手法律事務所は金融危機前までの10年で急成長。事務所の規模は4倍、5倍に拡大し、さほど陽の当たらなかった世界からビジネス雑誌などでも取り扱われる存在になった。その爆発的な成長期に培われた価値観から抜け出せないケースが多いだけに、その中で、果敢に飛び出し、 unlearning して成功する例をみると勇気づけられる。

 

追伸 同じ場所で同じポジションにいたとしても、その場所の発展段階が変わり、外部環境が変わっていく中では、常に自分自身の一部リストラクチャリングを怠ってはならないのかもしれない、と感じる今日この頃。