感想:吉村昭『ポーツマスの旗』と契約交渉

数多くの作品を読んでいる訳ではないが、好きな作家の一人に吉村昭がいる。この作品は、ときの外相小村寿太郎が全権大使として臨んだ、日露戦争のポーツマス講和会議を取り上げている。

当時、日本は日本海海戦で歴史上でも稀にみる完全勝利を手に入れ、国民は戦勝の美酒に酔っていた。しかし、シベリア鉄道を利用して陸軍の増強部隊を送り込むロシアを前に、その内実、国力は疲弊し、財政破綻は目前。そのような状況下、米国大統領ルーズベルトの仲介を得て、米国北東部ニューハンプシャー州の港町ポーツマスで日露の講和会議の舞台が設定される。

日本政府は、強硬なロシア政府と過大な戦勝の果実を期待する日本国民の板挟みの中で、当時の外相小村寿太郎特命全権大使として、困難が予想される講和の交渉に送り出す。小村寿太郎は、戦勝を祝う国民の歓呼の声に見送られ、帰国の折には正反対の扱いを受けることを覚悟しつつ、米国に向けて旅立つ。この本は小村寿太郎に焦点をあて、ポーツマスでの交渉を詳細にたどる。

小村寿太郎には帝国主義的な側面など含め様々な評価があるだろうが、その辺りは詳しくないので、ここでは、この作品のテーマである日露講和条約の交渉のみに光を当てたい。私たちはこれ程までの劇的な交渉には出くわさないにせよ、このストーリーには契約交渉の様々な要素がギッシリと詰まっている。複雑な取引の交渉を行って何とか契約調印までこぎ着けるという業務にあたる人にとって、大変に興味深いであろう本。以下、いくつか印象に残った場面をご紹介。

第一条の文言を巡る交渉

条約文の最初の討議、第一条の韓国問題に関して、ロシアの条件付き同意を受けて交渉を行い、比較的早期に核心部分に限っては実質的な同意に至ったが、その後の具体的な条約文を巡って難航。

「実質的にはこの問題は日露両国間で意見の一致をみたので、....日本側の意見は会議録に明記しておくことにしたらよいと思う」

と提案するウィッテに対し、実質的な意見の一致を否定し、しばしのやり取りの後に、逆にロシア提案を条約文ではなく会議録に記すことを要求する小村。小村が厳しい態度でその姿勢を貫き通し、何とか第一条の条約文を作成し、ついに双方合意してその日の散会にたどり着いた瞬間、

条文を読み直していたウイッテが、突然、「初めは気づかなかったが、この条文の中に私たちの意見と異なっている点がある」と、発言した。それは、今後、ロシア国民が韓国内で他の諸国の国民と同じ権利を持つという条文であったが、かれは文章が明確さを欠いているという。つまり、ロシア国民のみが不当な扱いを受けるおそれがあるようにもとれるというのだ。小村はそのような差別をする意志は全くないと答え、字句の点で押し問答が反復された。

(中略)

日が、傾いた。ウイッテはさかんに随員たちと言葉を交わし、書記官たちもとりとめもない会話をはじめ、話がまとまる気配はなくなった。そうした空気をながめていた小村は、「時間も大分経過した。本日はこのまま散会とし、明日午後から引きつづきこの問題を協議したい」と発言し、ウイッテも同意した。

私たちが百年というときを経てわずか5行程度の条約文(最終版の第2条)を眺め、押し問答の応酬が5行の中の更に後半の細部・技術的論点を巡って繰り広げられたと知ると、何故にそれほど時間を要したのかと感じるかもしれない。しかし、契約交渉でこの種のやり取りを経験してきた人であれば、似たようなやり取りを想起するだろう。細部であっても文言を巡って火花を散らし、時間を費やして修正を互いに繰り返すことで、ようやく妥結に至ることは珍しくない。

焦点の樺太割譲と賠償金問題

講和交渉は細部では着実に進むが、焦点の樺太割譲と賠償金問題は残念ながら全く着地点をみない。小村は、交渉の破局が目前に迫った最終段階で、ロシアが樺太割譲と賠償金を受諾の方向で検討するならば日本の要求から中立港のロシア艦艇引き渡しと極東ロシア海軍力の制限を取り下げる、との意向を覚書で提示する。これに対し、ウィッテは、

「両国全権委員のみで秘密に話したい事がある。書記官等に席をはずさせ秘密会を開きたいが、貴方の御意見をうかがいたい」

と全権委員の内密の協議を提案、その場で小村に対し、

「私は、本国政府から樺太割譲、償金支払いについては絶対に受諾してはならぬという厳命を受けている。しかし、このままでは、会議は決裂以外にない。私個人としては、是非講和会議を成立させたいと願い、打開案を政府に求めようと思っている」

と明かして、沈鬱な表情でロシア国内の実情を仔細に説明した。続けて、ウィッテは

「あくまで私個人の考えだが、たとえば樺太の北部をロシア領とし、南部を日本領とする案はどうだろうか。樺太北部は、ロシアにとって黒龍江一帯の地の防衛に必要である。また、南部は漁獲資源が豊富で、樺太南部が領土となれば日本には好都合なはずだ。樺太二分案について、貴方の御意見をうかがいたい。」

と樺太二分の私案を内々に提示する。これを受けて、小村は最初に境界線を北緯50度とする旨を確認。そして、日本は現在まさに占領中の樺太北部を手放すのだからとして、その代償としての12億円の賠償金を逆に提案。しばしの話し合いの上で、ウィッテは、その方向で受け入れの可否を本国ロシア皇帝に打診することを約束した。

契約交渉でも、行き詰まった最終段階になると、交渉担当者が試案ないし私案として相手方に折衷案を打診し、現場で詰めた上で、逆にそれを背後の決定権者に仰ぐ場面がある。交渉担当者が全ての決定権限を有することは稀で、実際の交渉実務に携わる人々は背後の決定権者、自社の決裁権者や役員会、外資系企業であれば大きな取引は本国本社、弁護士であれば依頼者本人などに交渉経過を報告しつつ、最終判断を仰ぐ必要がある。かといって、交渉にあたって事前に認められた範囲内から一歩も出ないと、膠着した状況を変えることもできない。

試案や私案を出すのは、現場担当者同士がある程度の信頼関係を築き、相手の状況を理解し、交渉の膠着を打開しようとの強い意思があってこそ。同時に、背後の自分の決定権者の意図が全て読めるとも限らないので、勇気のいることでもある。背後の決定権者が折り合える微妙な折衷案を作成しようという現場担当者同士の共同作業だから、互いに状況を説明しつつ、決定権者を説得するための材料を相互に引き出すという協力関係も生じる。一方、折衷案の作成にあたって譲歩しすぎる訳にもいかず、引き続き、対立関係も残る。樺太割譲と賠償金条項のような劇的な場面には遭遇しないにせよ、取引の重要な場面でこのようなやり取りがあれば緊張感があり、成功すれば達成感もある。

調印式とその後

長丁場に及ぶ交渉を終えて両国全権委員が署名を済ませ、米国のパース国務次官を交えてシャンパンで乾杯しようという場面。

コロストヴェッツがその場の空気をやわらげるように、ロシア国内では条約締結に批判が多いが、外電によると東京でも条約に反対した騒動が起こっていることを口にし、小村に感想を問うた。小村は、表情を変えもせず、

私は、本国の多くの人から非難を受けることを覚悟していた。ウィッテも批判されるかもしれないが、だれにしてもすべての人々を満足させることはできないものだ。私は自分の責任を果たしたことに満足している」

と、淀みないフランス語で答えた。

そんな小村も、帰国前に、さらなる大騒擾が起こって官邸が襲撃され、彼の家族も殺害されたとの誤報を受けた後は、さすがにひどく体調を崩し、数週間の絶対安静を告げられてしまう。

あるいは、ウィッテも、条約交渉中は上の譲歩案を本国に打診したことで、本国から激烈に非難され、談判打ち切りを命じられる。条約調印後は大成功をおさめた外交官としての賞賛をほしいままにしつつも、ロシア皇帝に忌避されて結局その後に失脚。

後日、小村が再度の外相就任のためにロンドンからの帰国途中にウィッテを訪問するシーンが大変印象的。

小村は、「ポーツマスでは互いに祖国のために全力をつくしたが、全く夢のようだ。今は日露両国は友好国であり、嬉しく思っている。」と、述べた。ウイッテは、「ポーツマス条約成立の時、世人は私が大成功したと言い、私自身も密かに誇りをもった。が、今では私を非難する者が多く、それに反してあなたは、罵声に包まれながらもようやく国民の理解も得られるようになっていて羨しい」と言って、外相就任を祝った。小村が去る時、ウイッテは家の前に立って車が遠ざかるのを長い間見送っていた。

交渉事は相手のある話だから、どんなに全力を尽くしても望まれる結果が得られるとは限らない。また、時勢の流れによっては、激しい議論を尽くした合意事項にもかからわず、交渉当時に想定していた意味合いを変えていくこともある。こればかりは避け難いことで、交渉の際はその場でできる最大の努力をするよりない。小村寿太郎の発言のように達観するのは難しいけれど…

小村の交渉家としての素養

小村寿太郎は、睦奥宗光に認められるまで不遇の人だったと言われる。とくに司法官としては目立たぬ存在で、判決書の起草が拙く、もっぱら英米の法律文書の翻訳の従事するだけ、外務省に転じても、周囲の文部省留学生が要職に就く中、当初は一人だけ下積みの仕事にあたっていたという。交渉家としての力量と、判事として法的論点を分析し判決書を起案する能力では、必要な素養が全く異なるのだろう。うだつの上がらぬ法律家として一生を終えることなく、適性ある役目について見事に花開いたのだから、小村寿太郎の後半生は、職業人生としてはとても幸せだったに違いない。

条約原文

最後に日露講和条約の原文はこちら。今の私たちにとって、和文(条約の正文ではなく翻訳としての位置付け)よりも、英語版謄本の方が読解が大変に楽であることに驚く。なお、正本には英文と仏文があり、解釈に相違がある場合は仏文が優先